ツイロアン公会堂は ホアフォン (Hoa Phong) 村、ホアヴァン (Hoa Vang) 地区に位置しています。この公会堂は18世紀後半に建てられ、1988年に復興しました。ナイナム(Nai Nam)およびボバン(Bo Ban)のように、ツイロアンの公会堂は保護の神および村の賢人の崇拝所として使用されています。
昔、毎年ここで、地元の人々は、太陰暦の2月14-15日に春を歓迎する式、および太陰暦の8月14-15日に秋を歓迎する式を行っていました。現在、ツイロアンの公会堂は、ミンマン(Minh Mang)王朝時代からバオダイ(Bao Dai) 王朝時代までの15の受賞をまだ保存し続けている唯一の公会堂です。
公会堂の全面積は110の平方メートルであり、壁がレンガで作られて、屋根が陰陽の屋根瓦でつけられました。屋根に、陶器の破片から作られた月の側 面を守っている2つのドラゴンの絵が飾られています。家の内部には3つの大きい部屋と2つの差し掛け小屋があります。部屋の後部の広さが2.4メーター で、長さが2.7メーターです。部屋の中に、ジャックフルッス木製の柱が4列あり、一つの列に高さが2.5から4.5メーターまでの六つの柱が並んでいま す。柱の構造はChong ruong-Giathu の形をしています。壁に付く柱の上に花の模様があり、柱の足元にはパンプキンの絵が飾られています。屋根ビーム の両側にドラゴンの頭、雲、ヒナギク、シャクヤクの模様があり、これらの模様がキムボン(Kim Bong)の職人さんにより彫刻されていたそうです。
反フランス戦争のときに、ツイロアンの公会堂で、地元の住民はデモンストレーションを行いました。その上、ボバン(Bo Ban)村およびカムトアイ(Cam Toai) 村の住民との協力し、1945年8月にホアヴァン(Hoa Vang)地区の政権を引き取りました。
反アメリカの戦争 (1957年-1975年) のときに、ゴ・ディン・ディエム (Ngo Dinh Diem)の政権はツイロアン公会堂を選んで、共産主義者を処刑するための場所にしました。この公会堂は、アメリカ人およびディエム政府に反対した地元住民の多くの戦いが起きた場所でした。
1999年1月4日に、ツイロアン公会堂は文化省と情報省によって歴史上の文化的な遺物として認められました。
ソース:ダナンポータルより
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